【開催レポート】NIHU/UBRJセミナー「日露バレエ交流史―越境者たちがつないだ白鳥の夢」
2018年2月15日(木)18:30より、NIHU/UBRJセミナーに早稲田大学非常勤講師の川島京子先生をメイン・スピーカーとしてお迎えして、日本のバレエ史事始めについてお話しいただきました。
「白系ロシア人エリアナ・パヴロバと日本初のバレエスクール」と題された川島先生のお話では、まずエリアナ・パヴロバ(1897–1941)が来日する前に日本を訪れた職業舞踊家たちについての概観がなされました。20世紀初頭にやってきた彼らは、日本に定住することなく、バレエ教育の普及には直接的な影響を及ぼさずに去っていきました。それが、いまや日本は「バレエ大国」と言われるほどにバレエを踊る人々の裾野が広がりました。そのおおもとにあったのが、エリアナ・パヴロバという白系ロシア人女性の活躍です。1920年代に来日した彼女は、周囲の日本の文化人からのアドバイスも受けながら、日本の芸道の教育システムを採用して、日本におけるバレエの普及に成功します。本人は、慰問先の南京で病を得て1941年に亡くなってしまいますが、遺されたものは大きく、大多数の日本のバレエ団体の師弟関係をたどっていくと、エリアナに行きつくことになるそうです。
じつはロシア本国でエリアナはバレエ学校に通ったことはなく、その意味では「プロフェッショナルなダンサー」とは言えなかったのかもしれませんが、本人の才覚と魅力により、日本人たちがバレエに目覚めていったことは確かな事実です。このユニークな人物について、川島先生が日本・ロシア・中国・ウクライナで行った綿密な調査に基づいたお話が、内容に富んで興味深いうえに、お話しぶりも素晴らしく、セミナー後は、ご参加の皆様から多くの質問やご感想をいただきました。
なお、川島先生のレクチャーののち、本センター学術研究員の斎藤も「オリガ・サファイアの業績再評価:著作を中心に」と題して少しお話させていただきました。オリガ・サファイア(1907–1981)は1936年に来日し、主に日本劇場でバレエを伝えました。オリガが著者となっている三冊の本に感じられるのは、レニングラードの国立舞踊学校を卒業したというプロフェッショナルとしての強い矜持です。本来のバレエ教育の本質がエリート教育にあることを身をもって知っていたので、あえて弟子を多くとることはしませんでした。しかしながら、著作は全国に熱烈な読者を持ち、「本物のバレエ」について伝える大きな役割を果たしました。
二人のバレエに対する考え方は対照的でしたが、両者とも日本のバレエ発展にとってなくてはならない存在でした。バレエ史という珍しいテーマでありながら、たくさんの方にお越しいただき、高い関心を寄せていただきましたことにこの場を借りて御礼申し上げます。
(文責:斎藤慶子)